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  <title>MTCABLOG</title>
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  <tagline>経営技術コンサルタント協会のウェブログです。会員の情報発信、行事の報告、イベントの模様などがあります。</tagline>
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    <title>なかちゃんの「地球2周目航海記」 2012.4.1</title>
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    <summary type="text/plain">【寄港地カメラ紀行】 17.4月1、2日　オデッサ（ウクライナ） 　 3世紀にモ...</summary>
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      <![CDATA[<p>【寄港地カメラ紀行】<br />
17.4月1、2日　オデッサ（ウクライナ）<br />
　<br />
3世紀にモンゴル帝国に滅ぼされたウクライナは、長い間、独自の国家を持たず、諸侯はリトアニア大公国やポーランド王国に属していた。<br />
17世紀から18世紀の間にはウクライナ・コサックの国家が興亡し、その後ロシア帝国の支配下に入った。<br />
1917年にロシア革命が起こると、ウクライナ人民共和国の中央ラーダ軍を含めたいくつものグループ、フランス軍、赤軍、白軍による占領が繰り返され、最終的に1920年赤軍が支配権を取り戻し、ソビエト連邦内の構成国となった。1991年ソ連崩壊に伴い独立した。<br />
16世紀以来「ヨーロッパの穀倉」地帯として知られ、19世紀以後産業の中心地帯として大きく発展している。天然資源に恵まれ、鉄鉱石や石炭など資源立地指向の鉄鋼業を中心として重化学工業が発達している。ソ連時代にチェルノブイリ原子力発電所事故が起きたが、今も原子力発電は盛んである。</p>

<p>オデッサは、ウクライナ南部、黒海に面した港湾都市である。この港は古くから貿易港として栄え、世界の多くの人々が集まった。また、歴史上様々な国の支配を受けてきたため、住民はウクライナ人、ロシア人、ユダヤ人、ギリシャ人、ルーマニア人、ブルガリア人、トルコ人と多みんぞ種多彩であり、また街にはイギリスやフランスの影響を受けた建物が多く、非常に国際色豊かな都市となっている。世界一美しい都市ともいわれている。</p>

<p>オデッサの名称の由来は、女帝・エカチェリーナ2世が、トラキアに存在した古代ギリシアの植民地オデッサス（現ヴァルナ）にちなみこの街をオデッサと名付けた。といわれているが、この地には飲料水が大変少なかった事から、「水が豊か」を意味するフランス語の「ASEDO」の逆、ということで、「ODESA」とした説もある。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0401-pb2-1.jpg" width="500" height="331" border="0"><br />
女帝・エカチェリーナ2世の像</P></p>

<p>有名な「ポチョムキンの階段」は、オセアニック号が着岸した埠頭前のターミナルをでた所にあった。<br />
日露戦争さなかの1905年に、この街で戦艦ポチョムキン＝タヴリーチェスキー公の反乱が起こった。この反乱は後に「第1次ロシア革命20周年記念」としてソ連の映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインによって映画「戦艦ポチョムキン」が作成された。<br />
この映画で最も印象的とされるのは「オデッサの階段」と言われる約6分間の場面で、「映画史上最も有名な6分間」と言われている。<br />
とくに撃たれた母親の手を離れた乳母車が階段を落ちていくシーンは、ブライアン・デ・パルマ監督の『アンタッチャブル』などの映画でも引用されている。<br />
この階段には二つの特徴がある。<br />
一つは、上に立つと階段は全く見えず、見えるのは踊り場だけだ。それと対照的に、下からは踊り場が見えなくなり、その代わりに階段だけが見える。<br />
上るとあまりわからないが、最上段の幅は12.5メートルで、最下段は21.6メートル。それは目の錯覚を起こすため。階段の前に立つと、この建造物は実際よりも大きく見える。<br />
4月1日はエイプリルフールとあって、この街で一年に一度行われるフェステバルが行われ、ポチョムキンの階段上広場を中心に、港周辺は大変な賑わいであった。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0401-pb2-2.jpg" width="500" height="333" border="0"><br />
下からみたポチョムキンの階段</P></p>

<p>フランスの公爵・リシュリューは、フランス革命（1789年）を恐れてロシアへ逃亡したが、皇室に認められて出世し、1803年にオデッサの初代総督に任じられた。彼が治めた７年間にオデッサは急速に発展した。その功績を称えて、階段を「オデッサのリシュリュー階段」と呼ぶ市民もいるという。<br />
ポチョムキンの階段の上の広場に、そのリシュリューの像が建っている。基台のレリーフは人手に触られてピカピカにひかっていた。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0401-pb2-3.jpg" width="333" height="500" border="0"><br />
港をみおろすリシュリューの像</P></p>

<p><br />
<div style="text-align: center;"><strong>ご愛読いただいた皆様へ</strong></div></p>

<p>出発前には長いと思っていた101日間ですが、今日で残すところ1ヶ月となりました。<br />
4月6日、エジプトで一旦下船し、ケニア・ワイルドサファリ・ツアーに参加します。<br />
4月18日インド・コーチンにて再びオセアニック号に合流する13日間の旅です。<br />
ケニア国内航空の荷物制限のため、このツアーにパソコンの持込ができず、旅行中は写真の編集もブログの原稿もできません。<br />
また、18日以降もケニアで撮りためた写真の整理や、ボツボツ帰国にむけた準備等のため、この「地球2周目航海記」は、この号をもって一旦終了し、帰国後にあらためて続編をブログに掲載する予定です。</p>

<div style="text-align: right;">4月3日　黒海洋上・オセアニック号より　中川嘉夫</div>
]]>
      
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    <title>なかちゃんの「地球2周目航海記」 2012.3.31</title>
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    <modified>2012-04-11T15:30:09Z</modified>
    <issued>2012-04-12T00:29:12+09:00</issued>
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    <summary type="text/plain">【寄港地カメラ紀行】 16.３月31日　コンスタンツア(ルーマニア)　 コンスタ...</summary>
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      <![CDATA[<p>【寄港地カメラ紀行】<br />
16.３月31日　コンスタンツア(ルーマニア)　</p>

<p>コンスタンツァは、ルーマニアの首都・ブカレストの約200キロ東に位置するルーマニア最大の港湾都市。<br />
紀元前7世紀にギリシア人によって建てられた植民市であるトミスが、コンスタンツァの起源である。<br />
4世紀、コンスタンティヌス1世が妹の名にちなんでコンスタンツァと改称し、大規模な街の改築を推進した。<br />
1413年、オスマン帝国の支配下に入ると、街は衰退へとむかった。1878年、露土戦争をめぐり国際関係が紛糾することを懸念したドイツのオットー・フォン・ビスマルクによって開催されたベルリン会議において、ドブロジャ地方北部（コンスタンツァを含む）がルーマニアに帰属することが認められ、ルーマニアの統治下で港湾都市として繁栄を取り戻していった。<br />
過去ルーマニアは共産国であったが、２０年前にEU加盟して民主主義の国となり、スーパーマーケットが沢山できたり、住宅の建設も進み発展しつつある。<br />
港から20分ほどで市街地を通り抜け、今日の目的地「ドナウデルタ」へ向かう。 </p>

<p>ヨーロッパ横断するドナウ川の雄大な流れ。その終着点がここルーマニアのドナウデルタだ。<br />
ルーマニアのドブロジャと、ウクライナのオデッサ州に位置し、面積 3,446平方キロメートル。ヨーロッパ一最大の大きさを誇る湿地帯で、人の手がほとんど入っていない自然状態の三角州（デルタ）である。 野生生物の宝庫として知られ世界自然遺産にも登録されている。</p>

<p>左右に広大な平原をみながらバスは、ドナウデルタをめざしてひた走る。<br />
途中、夥しい数の風力発電機が林立している風景がおよそ10Kmも続いた。おそらく数千基はあるだろう。ガイドの話では、この国の電力は主に水力発電であり、原子力発電もコンスタンツから60Kmの近くにあるが、近年、この風力発電のウエイトが高まっているという。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0331-pb2-1.jpg" width="500" height="331" border="0"></P></p>

<p>港を出てから２時間程走ったところで昼食場所の「サオン修道院」についた。ここで修道尼手作りの料理をいただく。修道院の食事だから「きっと粗食だろう」と期待していなかったが、メインの料理はボリュームたっぷりのビーフステーキだった。</p>

<p>ドナウデルタには、3,400種以上の魚、1,150種に及ぶ植物、そして野鳥325種が確認されている。 　　<br />
中でもペリカンは世界有数の繁殖地だということだったが、季節はずれなのか、ペリカンの姿は全く見られず、見かけたのは川鵜など2～3種の野鳥だけだった。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0331-pb2-2.jpg" width="500" height="333" border="0"></P><br />
</p>]]>
      
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    <title>なかちゃんの「地球2周目航海記」 2012.3.30</title>
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    <modified>2012-04-11T15:26:24Z</modified>
    <issued>2012-04-12T00:25:30+09:00</issued>
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    <summary type="text/plain">【寄港地カメラ紀行】 15.３月30日　ブルガス(ブルガリア)　 ブルガスは、ブ...</summary>
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      <![CDATA[<p>【寄港地カメラ紀行】<br />
15.３月30日　ブルガス(ブルガリア)　</p>

<p>ブルガスは、ブルガリアの黒海沿岸の都市。<br />
首都ソフィア、プロヴディフ、ヴァルナに次ぐ、四番目に人口の多い都市である。<br />
、東経27°28'。</p>

<p>中世には、「塔」を意味する「ピルゴス」と呼ばれる小さな要塞が建てられ、監視塔として用いられていた。のちに「ブルガス」と名前を変えたが、1878年にオスマン帝国から解放されたときは、住人は約3,000人で、ほとんどはギリシア人だった。<br />
やがてブルガリアの黒海南岸における中心都市となり、産業と貿易が発展した。多くの石油化学会社が建てられた。塩と鉄も産出され海外に輸出された。</p>

<p>オセアニック号がブルガスに着岸したとき、朝から雨がふっていて、デッキへでると震えるように寒かった。北緯42°、日本の函館とほぼ同じ緯度だから寒いのも当然だが、３日前のギリシャも昨日のトルコも、ぽかぽか陽気だったので、ひとしお寒さが身にしみる。<br />
ブルガス郊外、田園風景が広がる中をバスで走ること1時間。伝統的な村の生活を紹介する文化村・エルケッチュ村を訪れた。標高650mの高原だ。<br />
ブルガリアの民族舞踊ショーを観賞しながら、伝統料理を味わう。食前酒は葡萄の蒸留酒でスキッとした味わいだが、４５度という強さはスキッ腹にはちょっとこたえた。飲み放題の手作りワインは赤は辛口、白は甘口で、どちらも私の好みには合わなかったので、両方を混ぜると丁度良い味になった。ついついボトルを半分位飲んでしまった。<br />
水飴のようにトロッとした蜂蜜をまぜた手作りヨーグルトは流石と思わせる味だった。メインの串焼きチキンは柔らかくて中まで塩味がきいていてとても美味しかった。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0330-pb2-1.jpg" width="500" height="333" border="0"></P></p>

<p>食後、庭へでると綺麗な青空が広がっていた。<br />
自家製蒸留酒の作り方を紹介してもらったり、ブルガス名産の陶器の製作実演など、昔ながらのブルガリアの田舎暮らしを体験した。<br />
庭には、七面鳥やガチョウが遊んでいた。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0330-pb2-2.jpg" width="500" height="333" border="0"></P></p>

<p>写真を撮っていると、牧草の高原から羊の群れが帰ってきた。またとないシャッターチャンスだ。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0330-pb2-3.jpg" width="499" height="333" border="0"></P><br />
</p>]]>
      
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    <title>なかちゃんの「地球2周目航海記」 2012.3.29</title>
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    <modified>2012-04-11T15:22:51Z</modified>
    <issued>2012-04-12T00:21:35+09:00</issued>
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    <created>2012-04-11T15:21:35Z</created>
    <summary type="text/plain">【寄港地カメラ紀行】 14.3月29日　イスタンブール(トルコ) ボスポラス海峡...</summary>
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      <![CDATA[<p>【寄港地カメラ紀行】<br />
14.3月29日　イスタンブール(トルコ)</p>

<p>ボスポラス海峡をはさんでアジア（アナトリア半島）側とヨーロッパ（トラキア地方）側の両方に拡がっており、2大陸にまたがる大都市である「文明の交差点」イスタンブール。<br />
東ローマ帝国やオスマン帝国の都として栄えたこの街には、独特の文化がある。<br />
2009年3月、イスタンブールに４日間滞在し、主な観光地は殆ど見て回ったので、今回はフリーで港町を散策し、写真撮影をすることにした。<br />
オセアニック号の停泊したサルバザール埠頭から、旧市街へ通じるガラタ橋の手前までは、約２０分程度の道のりだ。<br />
ターミナルからメインストリートへでると、右をみても左をみてもモスク（イスラム寺院）のミナレット(尖塔)が目につく。聞けばイスタンブールにはおよそ３千のモスクがあるという。<br />
メインストリートからそれて裏道へはいる。トルコ名物のドネルケバブを店頭で焼いている店があった。「ドネル」とは回るという意味で、肉を回しながら焼いていく。串の周りに肉(ラムやチキンなど)を貼り付け大きな塊状にして、炭やガス、電気などで肉をゆっくりとまわしながらジワジワと焼く料理だ。<br />
カメラをむけると、ポーズして料理の説明をしてくれた。<br />
11時すぎで、まだお腹もすいていないので、「また後で・・・」といって別れた。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0329-pb2-1.jpg" width="310" height="207" border="0"></P></p>

<p>しばらく歩くと、これもトルコ名物の「ロクム」というお菓子の専門店があった。値段を聞くと、港のターミナルにある免税店より3割余り安い。ここも「また後で・・・」といって店をでた。<br />
ほどなくガラタ橋のたもとへでた。ここでは大勢の釣り人がいた。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0329-pb2-2.jpg" width="500" height="333" border="0"></P></p>

<p>ボスポラス海峡に架かるガラタ橋は、2重構造になっていて上が、車、トラム、人が通行する。下を歩くと、ここはレストラン街になっている。12時前のせいかどの店もすいていて、日本語で呼びかけてくる。「こんにちは。美味しいよ」と袖を引っ張る。「ノーハングリー」を何度か叫びながら、漸く旧市街へ出た。ここでしばらく写真とり、もと来たみちを引き返す。<br />
約束どおり、ロクムを買った後、ドネルケバブの店で昼食をとる。ドネルケバブは、チキンとビーフがあったので、私はビーフとビールを頼んだかビールは「ノー」といわれた。「え～っ、なんでやねん」と思ったが、考えてみればここはイスラームの国なのだ。<br />
しかたなく水を頼んだ。料理はとても美味しかった。最後に「トルココーヒー」が出てきて、2人の食事代は12ドル(約1,000円)だった。やはり一般市民の入る店は安い。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0329-pb2-3.jpg" width="500" height="333" border="0"></P><br />
</p>]]>
      
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    <title>なかちゃんの「地球2周目航海記」 2012.3.27</title>
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    <modified>2012-04-11T15:17:11Z</modified>
    <issued>2012-04-12T00:13:17+09:00</issued>
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    <created>2012-04-11T15:13:17Z</created>
    <summary type="text/plain">【寄港地カメラ紀行】 13.3月27日ピレウス 　 ピレウスは、古代のポリス時代...</summary>
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      <![CDATA[<p>【寄港地カメラ紀行】<br />
13.3月27日ピレウス<br />
　<br />
ピレウスは、古代のポリス時代以来、アテネの外港都市として発展した都市である。<br />
エーゲ海クルーズの拠点として栄え、エーゲ海の島々への船がこの港から出ている。 <br />
６時３５分、ピレウスの町の向こうの山並みに真っ赤な太陽が昇った。オセアニック号は追い風の影響で、予定よりも約２時間も早く入港したため、日の出時間とうまくタイミングが合い、はじめて街と山と朝陽を撮る事ができた。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0327-pb2-1.jpg" width="500" height="333" border="0"></P></p>

<p>ギリシャへ訪れたのは２回目なので、今回は観光をやめて、エビサ島にある「サンシャインハウス」を訪れ、「オーガニックとヒーリング」を体験するツアーに参加した。<br />
ヒーリングとは、リラクゼーションという感じの軽い意味から、難病やトラウマからの開放も含めて、心と身体の健康を回復する、という意味でも「ヒーリング」という言葉が使われている。<br />
「サンシャインハウス」は、ウーハー(WWOOFER)と呼ばれる、お金のやりとりなしで、「食事・宿泊場所」と、「力・知識・経験」を交換するしくみ、を利用する人たちが世界中から訪れ、タイマッサージやヨガ、オーガニックハーブガーデンを営む民宿だ。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0327-pb2-2.jpg" width="500" height="333" border="0"><br />
のんびりと過ごすウーハー</P><P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0327-pb2-3.jpg" width="500" height="366" border="0"><br />
子供たちものびのびと</P></p>

<p>ピレウスから車で約1時間30分、「サンシャインハウス」に着く。門をくぐると、このハウスの主人が「こんにちは」と出迎えてくれた。<br />
ギリシャの山で採れたという、ハーブティをいれていただいた。庭の中央にゴザが敷かれていた。そこに座って暖かい陽射しをうけながら、ハーブティを飲んだ。身体も心もあたたかく、ゆったりとした心地良い時間が流れた。<br />
庭には１４０年以上の樹齢を誇る立派なユーカリの木があり、大きな桑の木からはハンモックやブランコがぶらさがっていた。<br />
一息ついたところで、ヨガの手ほどきを受けた。なんとなく身体がスッキリした後、スチーバスに入った。一番にはいったためか、すこし温度が低く汗が殆ど出なかったのが残念だ。バスから出ると庭の木からもぎ獲ったばかりの「オレンジ」が用意してあった。心憎い気配りだ。見かけは悪いがとても甘くておいしかった。<br />
室内にはいりギリシャ料理の説明を聞く。<br />
料理自慢のハウスの主人が、今日私達が夕食にいただく料理を、見事な手さばきで作りながら説明してくれた。味付けはごく大雑把だが、およそ４０～5０人分をまたたく間につくった腕前に感嘆の声があがる。<br />
夕食は、私達の見学した５種類と、もう一組のグループが見学した５種類をあわせて計１０種類のうち８種の料理がビュッヘスタイルで提供された。<br />
生野菜、香草、オリーブオイルの苦手な私には、オリーブオイルをたっぷり使うギリシャ料理は、好みの味ではなかったが、サッパリした味付けの料理と羊の乳でつくったチーズは、オーガニックワインと良く合い、結構美味しかった。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0327-pb2-4.jpg" width="334" height="500" border="0"></P><br />
</p>]]>
      
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    <title>なかちゃんの「地球2周目航海記」 2012.3.23-24</title>
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    <modified>2012-04-11T15:15:12Z</modified>
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    <created>2012-04-11T15:06:33Z</created>
    <summary type="text/plain">【寄港地カメラ紀行】 11.3月23、24日　チビタベッキア(イタリア) チビタ...</summary>
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      <![CDATA[<p>【寄港地カメラ紀行】<br />
11.3月23、24日　チビタベッキア(イタリア)</p>

<p>チビタベッキアはティレニア海に面した港町であり、首都ローマから西北西に約80kmの距離にある。<br />
「チビタベッキア」とは「古代の街」を意味する。 <br />
市内の所々に残された崩れかけた城壁(写真)が「古代の街」を思わせるが、駅周辺や中心地は良く整備された綺麗な街だった。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0323-pb2-1.jpg" width="499" height="333" border="0"></P></p>

<p>海岸沿いには広い道路が通っているが、街中の道路は狭く、放射状でもなく碁盤の目でもない街並は、2～3度、角を曲がると方角が全く判らなくなってしまう。<br />
しかし、道に迷ったら坂を下る方向へすすめば必ず海が見える場所へ出るので、海をめざして進めば海岸通りへ出ることができる。</p>

<p>チビタベッキアは日本との関わりが深い街である。<br />
1615年に慶長遣欧使節団を率いる支倉常長が日本人として初めてチビタベッキアに上陸した。<br />
武士姿の支倉の銅像が港の近くに建立されていると聞いて地図を頼りに探したのだが、なかなか見つからない。<br />
漁師風の男性が4～5人で談笑していたので「ジャパン、サムライ、ブロンズ」と聞いてみたら、ヂェスチャーでわかり易く教えてくれた。<br />
やはり、この地ではかなり有名なのだ、と実感した。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0323-pb2-2.jpg" width="331" height="500" border="0"></P></p>

<p>もう一つ、日本にゆかりの教会があった。海岸沿い建てられた日本聖殉教者教会である。<br />
同教会は第二次世界大戦で破壊されたが、1951年再建にあたり、内装を日本人宗教画家・長谷川路可が担当し、内陣5面の日本聖殉教者殉教場面とエピソードのフレスコ壁画、内陣天井画として和装の聖母子像と聖人像、会堂両側の壁龕6面の聖画を6年がかりで独力で描き上げた。この功績により、1954年10月、長谷川路可はチビタベッキア市名誉市民に列せられている。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0323-pb2-3.jpg" width="500" height="331" border="0"></P><br />
</p>]]>
      
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    <title>なかちゃんの「地球2周目航海記」 2012.3.22</title>
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    <modified>2012-04-11T15:02:38Z</modified>
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    <summary type="text/plain">【寄港地カメラ紀行】 11.3月22日　モナコ公国 西ヨーロッパの立憲君主制国家...</summary>
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      <![CDATA[<p>【寄港地カメラ紀行】<br />
11.3月22日　モナコ公国</p>

<p>西ヨーロッパの立憲君主制国家。<br />
都市国家であり、首都モナコ市がそのまま全領土である。面積は日本の皇居の約２倍、世界で2番目に小さいミニ国家で、国連加盟国の中では世界最小である。<br />
フランスの地中海沿岸地方コート・ダジュールのイタリアとの国境近くに位置する。カジノやF1モナコグランプリが開催されることで知られる。<br />
２２日、オセアニック号はモナコの港に入港する予定だったが、タグボート故障のため、急遽フランスのヴィルフランシュ・シュル・メールの沖合いに停泊し、テンダーボート(通船)にて上陸することになった。</p>

<p>私達のツアーもコースを変更して、ニース経由でエズ村の香水工場を見学後、モナコを観光する事になった。<br />
エズ村へ行く途中の高台から、シュル・メール市街の素晴らしい眺望が見えた。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0322-pb2-1.jpg" width="500" height="331" border="0"></P></p>

<p>◆香水工場<br />
この辺りは気候が温暖で風当たりも少ないため、香水の原料になる花々が育てやすいそうだ。<br />
たとえば薔薇の香水を作る場合、薔薇の花１トンを蒸留器(右の写真)にかけて1リットルの原液が取れると言う。<br />
ここで作られた香水が各社に送られブランド品になるそうだ。<br />
ひととおり、見学が終わると売り込みが始まった。<br />
「練り香水」というのが流行っていてJALの機内販売でも人気があるそうだが、ここで買えば工場直販のため税金がかからず、JALの１/３程度の価格だと言う。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0322-pb2-2.jpg" width="428" height="500" border="0"></P></p>

<p>◆日本庭園<br />
この国の皇妃、元女優のグレース・ケリーは、日本文化を愛好し、モナコに日本庭園を造営することを希望していた。死後、レーニエ3世の指示によって、別府保男さん設計による本格的な日本庭園が1994年に開園した。<br />
7,000㎡の見事に手入れの行き届いた庭園にはお茶室もあり、この庭にたつと何故か「ほっ」とした。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0322-pb2-3.jpg" width="500" height="439" border="0"></P><br />
</p>]]>
      
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    <title>なかちゃんの「地球2周目航海記」 2012.3.21</title>
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    <modified>2012-04-11T14:58:13Z</modified>
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    <summary type="text/plain">【寄港地カメラ紀行】 10.３月21日　マルセイユ（フランス） マルセイユといえ...</summary>
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      <![CDATA[<p>【寄港地カメラ紀行】<br />
10.３月21日　マルセイユ（フランス）</p>

<p>マルセイユといえば「旅情豊かな港」というイメージをもっていたのだが、フランス最大の貿易港としても知られるマルセイユ港は、小さなターミナルに数軒のみやげ物やあるだけの殺風景な港だった。<br />
それもそのはず、オセアニック号が入港したのは、近世の船舶の大型化とともに１９世紀に新たに建設された貿易港だった。<br />
マルセイユの街の発展の要として栄えた旧港は、新港からバスで30分ほどの所にあり、今、観光の拠点として賑わっていた。<br />
この街は、2003年に世界的な文化都市に生まれ変わると言う。そのための建設ラッシュが街の至るとこでみられた。 <br />
旧港を望む広場は市民の憩いの場となっている。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0321-pb2-1.jpg" width="508" height="339" border="0"></P></p>

<p>ノートルダム・ド・ラ・ギャルドバジリカ聖堂<br />
海抜154mの小高い岩山の上に威容を誇る「ノートルダム・ド・ラ・ギャルドバジリカ聖堂」は、19世紀にロマネスク・ビザンチン様式で建造された。<br />
急な上り坂の途中に駐車場があり、そこからおよそ100段の階段をあがると漸く教会にたどりつく。<br />
そこには素晴らしい眺望が待っていた。<br />
マルセイユの街が一望でき、旧港が今も街の中心的存在である事がうかがえる。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0321-pb2-2.jpg" width="500" height="330" border="0"></P></p>

<p>白い教会の塔の上には聖母マリア像が金色に輝き、<br />
地中海の彼方を見つめていた。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0321-pb2-3.jpg" width="331" height="500" border="0"></P></p>

<p>内部には航海の無事を祈る船の模型や、信者によって捧げられた感謝の意を表す絵やプレートがたくさん飾られていた。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0321-pb2-4.jpg" width="600" height="224" border="0"></P><br />
</p>]]>
      
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    <title>なかちゃんの「地球2周目航海記」 2012.3.20</title>
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    <modified>2012-04-11T14:52:09Z</modified>
    <issued>2012-04-11T23:51:08+09:00</issued>
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    <created>2012-04-11T14:51:08Z</created>
    <summary type="text/plain">【寄港地カメラ紀行】 9. 3月20日　バルセロナ（スペイン） 　 バルセロナ ...</summary>
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      <![CDATA[<p>【寄港地カメラ紀行】<br />
9. 3月20日　バルセロナ（スペイン）<br />
　<br />
バルセロナ<br />
スペインの首都マドリードに次ぐ第2の都市である。スペイン北東部に位置するカタルーニャ州の州都で、バルセロナ県の県都でもある。<br />
地中海沿岸に位置する港湾都市で、フランスとの国境であるピレネー山脈から160km南に位置する。<br />
14世紀に建設された城塞を起源とする旧市街と、1859年の大拡張計画によって建設された碁盤の目のように正方形の街区が並ぶ新市街からなる。<br />
1992年にはバルセロナオリンピックの開催地であった。<br />
バルセロナといえば誰もが思い浮かべるのが、天才建築家・ガウディのサグラダファミリア大聖堂であろう。<br />
私は、2002年6月に次いで2度目の訪問であるが、いまも建築工事がつづいているサグラダファミリア大聖堂は、10年前とは随分様相が変わっていた。<br />
正面の4本の塔の左側に、新たに3本の塔が増設されていた。その塔の先端はカラフルな果物で装飾され、なんとなく調和を崩しているようにみえた。<br />
周辺も大分整備されていて、10年前にはなかった絶好のカメラポイントへガイドさんが案内してくれた。池に映るサグラダファミリア大聖堂の写真を撮る事ができた。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0320-pb2-1.jpg" width="600" height="400" border="0"></P></p>

<p>奇岩そびえる聖地モンセラット<br />
バルセロナの内陸側約60kmに聳え立つこの岩山は、カタルーニャの象徴的存在であり、地元の人々は生涯に一度はこの聖地を訪れると言われている。<br />
ガウディをはじめ、その壮大な姿に影響を受けた芸術家は数知れない。<br />
"モンセラット" のモンは山、セラットは「のこぎりの刃」という意味。その名の通りユニークな地形を持つこの岩山は、現在でも国内外を問わず多くの芸術家のインスピレーションを刺激し続けているという。<br />
下の写真はガウデイがサグラダファミリア大聖堂をイメージしたといわれる奇岩群。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0320-pb2-2.jpg" width="600" height="399" border="0"></P></p>

<p>モンセラット修道院は、フランコ政権時代におけるカタルーニャ文化保護運動の拠点として知られている。反カタルーニャ文化を掲げたフランコに公然と反抗したモンセラットの僧侶たちは、スペイン内戦後もカタロニア語で結婚式や洗礼式を行い続けた。また、1975年フランコ死去に到るまで、モンセラット修道院はカタルーニャ民族主義者たちの隠れ家だった。 <br />
少年合唱団と音楽学校でその名を知られるモンセラット修道院には、「ラ・モネレタ」と呼ばれる黒い聖母像が祀られており、カタルーニャの人々にとって大変重要な崇拝対象となっている<br />
下の写真は奇岩群を背に建てられた修道院。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120411-0320-pb2-3.jpg" width="600" height="397" border="0"></P><br />
</p>]]>
      
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    <title>なかちゃんの「地球2周目航海記」 2012.3.17</title>
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    <modified>2012-03-18T15:42:02Z</modified>
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    <summary type="text/plain">【寄港地カメラ紀行】 8.３月17日　カサブランカ（モロッコ）　 モロッコ王国 ...</summary>
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      <![CDATA[<p>【寄港地カメラ紀行】<br />
8.３月17日　カサブランカ（モロッコ）　</p>

<p>モロッコ王国<br />
北アフリカ北西部のマグリブに位置する立憲君主制国家。東にアルジェリアと、南にサハラ・アラブ民主共和国（西サハラ）と、北にスペインの飛び地セウタ、メリリャに接し、西は大西洋に、北は地中海に面している。<br />
第二次世界大戦後、世界的な脱植民地化の流れの中で、1930年代から盛んになっていた独立運動が過熱し、ゲリラ闘争とスルターンのイニシアチブの双方の効果もあって1956年にフランスから独立したが、それまではポルトガルやスペイン、フランスなどヨーロッパ諸国の侵略の歴史を繰り返していた。<br />
そのため、この国の文化はヨーロッパ各国のいろいろな文化の混合したコスモポリタンであり、イスラム教も多分にヨーロッパの影響をうけている。</p>

<p><B>商都カサブランカ</B><br />
カサブランカとはポルトガル語、スペイン語で「白い家」を意味する。 <br />
12世紀のムワッヒド朝時代にはすでに貿易港として栄えていた。<br />
1755年、地震により町は壊滅し、それまで支配していたポルトガル人は去ったが、1780年、モロッコ国王によって再建されアラビア語で「ダール・バイダ（白い家）」呼ばれた。<br />
その後、スペイン商人らがこの町に住み着くようになり、町の名「白い家」は、スペイン語に翻訳されて「カサブランカ」と呼ばれるようになった。<br />
1907年のフランスによる占領後、外国人の住民が増え、ヨーロッパの影響を色濃く受けるようになった。<br />
現在、カサブランカの人口は500万人。モロッコ最大の都市であり、モロッコの商業・金融の中心地として栄えている。<br />
市街地では地下鉄などの建設ラッシュで、活気にあふれていた。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120318-0317-pb2-1.jpg" width="500" height="333" border="0"></P></p>

<p><B>首都ラバト</B><br />
1912年に首都になったラバト。<br />
人口は、カサブランコに次ぐ300万人。カサブランカのような活気はなかったが首都らしい落ち着いた雰囲気を醸していた。<br />
ラバトとは「城壁都市」の意味。その名の通り市街はローマ帝国により建設された城壁で囲われていた。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120318-0317-pb2-2.jpg" width="350" height="169" border="0"></P></p>

<p>◆モスク跡<br />
幾何学模様のように配列された円柱は、1755年リスボン地震より破壊されたモスクの支柱で、その数の多さが、当時のモスクの壮大さが偲ばれる。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120318-0317-pb2-3.jpg" width="500" height="333" border="0"></P></p>

<p>◆ウダイヤのカスバ(砦)　<br />
中世、ナスル朝の終焉とともに、イベリア半島南部から逃れてきたイスラム教徒達が住み、一部海賊化した人々が住み着いたという。カスバ内には「海賊の塔」と呼ばれる見張り台も残っている。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120318-0317-pb2-4.jpg" width="499" height="333" border="0"></P><br />
</p>]]>
      
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    <title>なかちゃんの「地球2周目航海記」 2012.3.15</title>
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    <modified>2012-03-18T15:42:49Z</modified>
    <issued>2012-03-19T00:32:19+09:00</issued>
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    <summary type="text/plain">【寄港地カメラ紀行】 7.３月１5日　ラス・パルマス（カナリア諸島）　 カナリア...</summary>
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    <dc:subject>一般</dc:subject>
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      <![CDATA[<p>【寄港地カメラ紀行】<br />
7.３月１5日　ラス・パルマス（カナリア諸島）　</p>

<p>カナリア諸島は、アフリカ大陸の北西沿岸に近い大西洋上にある、7つの島からなるスペイン領の群島である。 <br />
カナリア島は、ラテン語で「犬の島」を意味する「Insula Canaria」に由来する。のち複数形「Insulae Canariae」として諸島全体を意味することにもなった。州の紋章には、7つの島々をはさんで一対の犬が描かれている。<br />
なぜこの島が「犬の島」なのか。かつて、この島に生息していたアザラシが、ラテン語で「海の犬」と呼ばれたことに由来するという説がある。<br />
なお、鳥のカナリアは、原産地のひとつである本島に因んでいる。<br />
カナリア諸島は、最初はアラブ人やノルマン人、ポルトガル人などが領有していたが、中南米への進出をはかるスペインの活動基地として侵攻され、先住民のグアンチェ族と5年間に及ぶ戦いにより、双方に大量の死者を出したのち、1483年にグラン・カナリア島はスペイン王国に統合された。</p>

<p>スペイン第8位の人口を持つ、州都・ラスパルマスは、「エル・レアル・デ・ラス・パルマス」（ヤシの陣地）という名前で、ヤシの木があった場所に建設された。<br />
スペイン領有後、町は成長を続け、島の政治・行政の中心地となった。数世紀間は経済の重要な中心地でもあり、サトウキビの取引とヨーロッパやアメリカへの農産物の輸出に支えられていた。<br />
景気のよいこの時代、町は何度も海賊に襲われ、襲撃は18世紀まで続いたが、19世紀には自由港が設立され、経済への大きな刺激となった。<br />
この特別な経済制度によってカナリア諸島の経済関係は発展し、港に来航する船の数が際立って増えた。この時期には観光業も生まれ、島で最高級のサンタ・カタリーナ・ホテルが1890年に開業した。<br />
1957年から航空機時代が始まり、この島に建設されたグラン・カナリア国際空港はスペイン本土との交通の要として、またヨーロッパ各地からの観光客の足として重要な役割を担い、グラン・カナリア島経済の主要な原動力となっている。とくに島南部地域は、年間を通じて、その気候の温暖さから「常春の楽園」と呼ばれ、ヨーロッパ各地から「避寒」に訪れる人々で賑わっている。</p>

<p>◆マスパルマス砂丘<br />
「強い風が吹く度に、美しい風紋ができる」ということで有名だが、残念ながら時間の関係で、展望台からの観光だけだったため、風紋はカメラに収めることはできなかった。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120318-0315-pb2-1.jpg" width="600" height="400" border="0"></P></p>

<p><br />
◆アグイーメスの街<br />
街のあちこちに銅像があり、街全体が美術館といった趣のアートな街だ。<br />
住民が観光客を誘致しようと、全住民の総意で作り上げたという。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120318-0315-pb2-2.jpg" width="470" height="337" border="0"></P></p>

<p>◆グアヤデーケ渓谷<br />
洞窟に教会が作られていたり、洞窟レストランやお土産屋、洞窟を住居にしている家庭があり、その規模の大きさは及びもつかないが、トルコのカッパドキアを彷彿とさせた。<br />
昼食は、グアヤデーケ頂上の洞窟レストランで食べた。<br />
メニューは、ガーリックトースト、オムレツ、チーズ、生ハム、コロッケという質素なものだったが、ワイン飲み放題つきの素朴な味は大満足だった。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120318-0315-pb2-3.jpg" width="500" height="331" border="0"></P><br />
</p>]]>
      
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    <title>なかちゃんの「地球2周目航海記」 2012.3.12</title>
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    <modified>2012-03-18T15:26:52Z</modified>
    <issued>2012-03-19T00:25:14+09:00</issued>
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    <created>2012-03-18T15:25:14Z</created>
    <summary type="text/plain">【寄港地カメラ紀行】 6.３月１2日　ダカール（セネガル） セネガルは、西アフリ...</summary>
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    <dc:subject>一般</dc:subject>
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      <![CDATA[<p>【寄港地カメラ紀行】<br />
6.３月１2日　ダカール（セネガル）</p>

<p>セネガルは、西アフリカ、サハラ砂漠西南端に位置する共和国。<br />
1815年のウィーン会議でフランスの植民地とされ、ダカールなどの都市、ダカール港、サンルイ - ダカール間鉄道などの建設を進めた。1848年、奴隷貿易が廃止された。<br />
1960年4月4日マリ連邦としてフランスから独立し、8月20日にはマリ連邦から分離しセネガル共和国として単独国家となった。<br />
セネガルの首都でありダカール州の州都でもあるダカールは、アフリカ大陸の西端に位置し、大西洋横断貿易において重要な位置を占め、この地域の主要港湾となっている。<br />
16世紀から19世紀にかけて、ダカールは大西洋を横断する奴隷貿易の中心地であった。<br />
ダカールから船出して南アメリカ、アメリカ大陸の各植民地へ運ばれた奴隷の数は、アフリカの他のどの港から運ばれた奴隷の数よりも多かったという。<br />
ダカールから運ばれる奴隷は、ゴレ島のエストレー要塞に集められ、船に運び込まれた。エストレー要塞は20世紀になってセネガル政府により修復され、現在は博物館になっている。<br />
ダカールの市街は、ロータリーの中央にモニュメントがあり、その広場から放射状に道路がのびている。また、メインストリートはパリのシャンゼリゼに似た並木道で、いかにもプチパリといった街づくりだが、サハラ砂漠から飛来した砂塵が上空を覆い、パリとは似ても似つかぬdustyな街だった。<br />
この国の所得レベルは低く、職のない人々が街頭でモノを売る姿が目についたが、オシャレで綺麗な服を着た女性が多いのは意外だった。</p>

<p>下船前に、「断りなしに人にカメラをむけるヒドイ目にあうからくれぐれも気をつけるように」と言われていたので、すべて隠し撮りした。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120318-0312-pb2-1.jpg" width="325" height="225" border="0"></P><br />
</p>]]>
      
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    <title>なかちゃんの「地球2周目航海記」 2012.3.2～11</title>
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    <summary type="text/plain">洋上日誌【太西洋編】 　 ■3月2日～3月11日■ ８日間のガラパゴスツアーから...</summary>
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      <![CDATA[<p>洋上日誌【太西洋編】<br />
　<br />
■3月2日～3月11日■</p>

<p>８日間のガラパゴスツアーから帰船して、当日ジャマイカ観光、２日おいてキューバ・ハバナ寄港とつづき、3/2～3/11の大西洋クルーズ中は、ガラパゴスの写真の整理や報告会の資料作りに追われ、洋上日誌を書く暇も、スナップ写真を撮る時間もありませんでした。<br />
また、なぜかこの期間の朝陽夕陽は黒っぽい雲が邪魔をして、あまり写欲をそそりません。１０日間の太西洋のトピックスをまとめて掲載します。</p>

<p>◆モンベル会長・辰野勇さん<br />
キューバから辰野勇さんが水先案内人として乗船された。<br />
ダカールまでの１０日間、「夢と冒険」というテーマで講演(４回)、趣味の「竹笛」のワークショップ(毎日)、洋上ベンチャー大学の講師など、本人が「由里弥ちゃん(村石由里弥クルーズディレクター)に、こきつかわれている」というほど多忙な様子だった。<br />
乗船された翌日、朝食中の辰野さんを見かけたので、昨年、スイスで買ったモンベルのTシャツを着て、近づくと目ざとく見つけて「スイスへ行かれたのですか?」とニコニコ顔で迎えてくれた。私は名刺とMTCAジャーナルを渡し簡単に自己紹介したあと、MTCA例会での講演をさりげなく申し入れた。ハッキリと断られはしなかったが、巧みに話題を変えられてしまった。<br />
翌日、「夢と冒険」の講演の冒頭に、村石CDも「辰野さんは、１回の講演で50万円だそうです」と紹介され、本人も「引く手あまたで大変なんですよ、飛鳥のお誘いも断ってPBに乗ったんですよ」と、超売れっ子だということほのめかされた。<br />
私はMTCA例会での講演依頼をあきらめざるを得なかった。</p>

<p><P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120318-0302-pb2-1.jpg" width="485" height="500" border="0"><br />
写真<br />
竹のかわりに塩ビの水道管を利用した「笛作り」を指導する辰野さん</P></p>

<p>◆ガラパゴス報告会<br />
「世界自然遺産・ガラパゴスの現状」と「森再生プロジェクト」の報告会を洋上で開催する事になり、その資料作りを引き受けた。<br />
私の撮った約2,000枚の写真と、2人の方から預かった写真から選別してスライドショーを作ることにした。簡単にできると思っていたのだが、人の写真を編集するのは結構大変だ。<br />
辰野さんの講演を欠かさず聞きに行ったり、他にも興味深いイベントがあったりでこれに専念する時間はあまりとれなかった。結局、スライドショーを作るのに１２日もかかってしまった。</p>

<p>◆映画「Roots」の観賞<br />
　次の寄港地・アフリカにちなんで映画「Roots」の上映があった。<br />
1話90分、全5話の映画を6回にわけて上映された(第1話は45分ずつ2回)。<br />
2回目(1話の後半)から見たが、素晴らしい映画で5話まで欠かさずにみた。</p>

<p>◆時差<br />
この10日間、オセアニック号は真東に航行した。<br />
隔日に時差修正があり、1日23時間の日が5回もあった。遅くまで映画を見たことと相俟って寝不足の日々だった。</p>

<p>◆洋上イベント<br />
①3月7日、マスカレード(仮装)パーテイ<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120318-0302-pb2-2.jpg" width="500" height="397" border="0"></P></p>

<p>②3月１１日、洋上追悼式<br />
東日本大震災１周年の日、日本の１４時４６分(洋上５時４６分)と、洋上の１４時４６分の２回、追悼式が開催された。<br />
この日は、１０回プールデッキでは、「復興もちつき大会」、特別ブース「3.11ひろば(11のブースで3.11に因んだ展示など)が開催された。<br />
</p>]]>
      
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    <title>なかちゃんの「地球2周目航海記」 2012.3.1</title>
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    <summary type="text/plain">【寄港地カメラ紀行】 5.ハバナ(キューバ) キューバ最大のリゾート地・バラデロ...</summary>
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      <![CDATA[<p>【寄港地カメラ紀行】<br />
5.ハバナ(キューバ)<br />
キューバ最大のリゾート地・バラデロビーチとハバナ旧市外観光</p>

<p>■3月1日■</p>

<p>ハバナはキューバの首都。キューバ島北西沿岸のフロリダ海峡に接する地点に位置し、カリブ海域における最大の都市である。人口は約200万人。<br />
1553年に、それまでのサンティアゴ・デ・クーバに代わってキューバ総督領の首府となった。1519年以降、港を中心に都市を築かれていったハバナはスペインの新大陸における植民地経営の中心地として、また貿易の主要な中継地として発展した。そのためにキューバはフランス、イギリス、オランダの海賊の攻撃を受けるようになった。1537年にはフランス海賊によって最初の襲撃が加えられ、焼き討ちにあい、1553年と1555年にも略奪を受けるなどの被害を受けた。<br />
このため、ハバナにはフエルサ要塞、プンタ要塞、モーロ要塞などの多数の要塞が築かれ、軍事都市としての趣が整えられた。</p>

<p>キューバ最大のリゾート地・バラデロビーチを訪れた。<br />
ハバナ港からバスでおよそ２時間、バラデロのホテルについた。<br />
ここはヨーロピアン経営で"オールインクルーシブ"スタイル。飲食、アクティヴィティーがツアー料金に含まれているので、水着とカメラだけ持参してディユースするだけで十分楽しめ、まさにリラックスタイムを過ごせる。キューバではドルもユーロも使えないのでお金も持っていかなかった。<br />
ホテルの中庭にプールがあり、その中央の島にあるドリンクバーではビールやラム酒、キューバン・カクテルなどのアルコール飲料と、フレッシュジュースを目の前で作ってくれる。また、プールサイドでは、アイスクリームの屋台、スナックをテイクアウトできるコーナーもある。<br />
中庭からビーチにでると、絹の肌ざわりのようなきめ細かい砂浜がひろがり、その向こうに、青白から緑青、そして濃紺へと変化する海がつづく。</p>

<p>昼食も豪華だった。<br />
バイキングスタイルで、牛肉、豚肉、鶏肉、魚類、海老、野菜などがいろいろな方法で調理された料理を自由にチョイスできる。パスタも数種類あり、すきなものを皿にとって渡すとすぐにフライパンで炒めてくれた。<br />
ドリンクは注文するとテーブルまで運んでくれる。<br />
私は最初にビール。次にワインをたのんだ。ワインが殻になるとどこで見ていたのかすぐに注ぎに来た。この費用はすべてインクルーシブされているのでついつい飲みすぎてしまう。なんとも贅沢なひとときだった。</p>

<p>ビーチに設えられたワラ葺きのパラソルは、とても涼しい陰をつくっていた。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120318-0301-pb2-1.jpg" width="500" height="333" border="0"></P></p>

<p>旅行会社のパンフレットでも作るのだろうか。プロカメラマンがモデル撮影していた。<br />
カメラマンのうしろから内緒で撮ってしまった。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120318-0301-pb2-2.jpg" width="500" height="331" border="0"></P></p>

<p>ビーチでダンスに興ずる人たち。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120318-0301-pb2-3.jpg" width="500" height="333" border="0"></P></p>

<p>港近くの旧市街まで戻ったとき、要塞の向こうに夕陽が沈みかけていた。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120318-0301-pb2-4.jpg" width="499" height="333" border="0"></P><br />
</p>]]>
      
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    <title>なかちゃんの「地球2周目航海記」 2012.2.27</title>
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    <modified>2012-03-18T15:08:58Z</modified>
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    <created>2012-03-18T15:05:57Z</created>
    <summary type="text/plain">【寄港地カメラ紀行】 4.モンテゴベイ(ジャマイカ) ■2月27日■ モンテゴベ...</summary>
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    <dc:subject>一般</dc:subject>
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      <![CDATA[<p>【寄港地カメラ紀行】<br />
4.モンテゴベイ(ジャマイカ)</p>

<p>■2月27日■</p>

<p>モンテゴベイは、西インド諸島・ジャマイカ島の西部の北側に位置するジャマイカ第2の都市。クルーズ船の埠頭と、ジャマイカで最も巨大な空港シー･ドナルド･サングスタ国際空港があり、ジャマイカ観光の玄関口となっている。<br />
"モンテゴ"という言葉は、スペイン語で「ラード」を意味する"マンテカ"が語源で、かつてスペイン人が、山に棲む野生の豚から取ったラードを、この港から船積みしていたことに由来する。</p>

<p>オセアニック号のデッキからみた港の夕景<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120318-0227-pb2-1.jpg" width="500" height="340" border="0"></P></p>

<p>シー･ドナルド･サングスタ国際空港。<br />
小さな空港だか、これでもジャマイカ最大なのだ。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120318-0227-pb2-2.jpg" width="393" height="237" border="0"></P></p>

<p>民芸品市場では個人で経営している小さな店が軒をならべ手作りの木彫りや手織り布や皮で作った鞄などを売っている。<br />
うまく値切れば３～５割くらい値引きする。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120318-0227-pb2-3.jpg" width="500" height="389" border="0"></P></p>

<p>この国は左側通行だ。かつて英国領であったことが伺える。<br />
小型トラックではトヨタの車が目についた。<br />
<P align="center"><IMG src="http://www.mtca.jp/blog/mtca/archives/images/20120318-0227-pb2-4.jpg" width="500" height="331" border="0"></P><br />
</p>]]>
      
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