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4-2 世界遺産・イスタンブールの歴史地区
紀元前7世紀、ギリシャの植民地として誕生したこの町は、アケメネス朝ペルシャ、マケドニアのアレクサンドロス大王の支配を受けた後、2世紀末に古代ローマの領土となる。
330年、ローマ帝国コンスタンティヌスⅠ世は、ビザンティウムと呼ばれていたこの都市に、「キリスト教による新都」として帝国の首都を遷した。
ローマ式の都市計画に基づき、堅牢な城壁や宮殿、およそ5kmもある直線の大通りもつくられ、交易で潤ったこの新都は、もとの都を凌ぐ「新しいローマ」として発展を遂げる。
395年、ローマ帝国は東西に分裂し、東ローマはビザンチン帝国となり、6世紀に黄金期を迎えた。
人口は50万に達し、皇帝の熱い庇護を受けた学者や芸術家が盛んに活躍し、文化の一大中心地としての地位を確立した。その潮流は、かつてビザンティウムとよばれていた名にちなんでビザンチン文化といわれ帝国全土に広まった。
15世紀になるとオスマン帝国の都となり、ギリシャ語で「町へ」を意味する「イスタンブール」と呼ばれるようになった。
ローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国という3代続いた大帝国の首都として繁栄した「イスタンブール」には、博物館、教会、宮殿、偉大なるモスク、バザールなど、訪れる人々を魅了する歴史的建造物が数多く残されている。
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スルタンアフメト・モスク(ブルー・モスク)
オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造された。
モスクには必ず「ミナレット」と呼ばれる細長い尖った塔が建ち、その本数や高さは権力の象徴といわれているが、このモスクには世界で唯一優美な6本のミナレットがある。
オスマン朝建築の代表的建造物であり世界一美しいモスクとして有名。
直径27.5mの大ドームをもち、内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさからブルーモスクとも呼ばれる。

ブルーモスクの外観

ブルーモスクの内部
アヤソフィア大聖堂
「神の知恵」を意味するアヤソフィア。
建物の大きさは、縦77m、横71mで、高さは大ドームが56mあり、ローマのサン・ピエトロ、ミラノのドゥオモ、ロンドンのセント・ポールに次いで世界で4番目の大きさを誇る。
コンスタンティヌスⅠ世が理想とした「キリスト教による新都」の構想を受け継ぎ、しばしばビザンチン建築の最高傑作と評価される。その歴史と威容から、オスマン帝国の時代においても第一級の格式を誇るモスクとして利用された。

北東面と南西面に設けられた窓から光りが差し込み「光りの聖堂」とも呼ばれている

モザイク画「キリストを膝に抱く聖母マリア」
トプカプ宮殿
15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿。イスタンブル旧市街のある半島の先端部分、三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に位置する。
宮殿はよく保存修復され、現在は博物館として公開されていて、素晴らしい宝物を見ることができたが、残念ながら館内は全て撮影禁止だった。

地下宮殿
「地下宮殿」を意味するイェレバタン・サラユ という名前で呼ばれている大貯水池。
東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌスによって建設されたもの。
かつてここには柱廊によって囲まれた中庭を有するフォルム(古代ローマ都市の公共広場)のような空間があり、裁判や商業活動に利用されていたが、ユスティニアヌス帝はこれを解体し、最も南にあった柱廊の部分を掘り下げて、この貯水槽を設置した。
貯水槽は長さ138m・幅65mの長方形の空間で、高さ9m、1列12本で28列、合計336本の大理石円柱を備え、それぞれが煉瓦造の交差ヴォールト(かまぼこ型の天井)を支える。
これによって78,000m³の水を貯えることができる。円柱のうち、98本は5世紀に流行したアカンサス柱頭を備えている。

グランド・バザール
大規模なバザールがあちこちにあり、観光の一つの魅力となっている。
旧市街のど真ん中にあるグランド・バザール は、15世紀半ばにメフメット II 世が開いた伝統ある市場だ。

ドルマバフチェ宮殿
新市街の北東郊外ベシクタシュ地区のボスポラス海峡に面した埋立地に位置する。ドルマバフチェとは「埋め立てられた庭」と言う意味である。
イスタンブルを征服したオスマン帝国のメフメト2世によって造成された庭園に、1853年にアブデュルメジト1世の命によって宮廷に仕えるアルメニア人建築家が設計、従来あった木造宮殿を取り壊して建てられ、トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国末期に王宮として利用された。
ヨーロッパから取り入れたバロック様式と伝統のオスマン様式を折衷した豪華な宮殿で、外観や装飾は近代西洋風であるが、建物の内部は男性向けの空間と女性のみの空間(ハレム)に二分割され、ハレムには多くの侍女や宦官も勤務した。ボスポラス海峡に向かう面は海側に門と桟エを備え、宮殿から公道に出ずに船でイスタンブル市内を自由に行き来できるようになっている。
宮殿の面積は45,000m²で、285の部屋、46のホール、6の浴場(ハマム)、68のトイレがある。
オスマン帝国の皇帝がいなくなった後も、政府の迎賓館として使われている。トルコ共和国の初期にはイスタンブルにおける大統領の執務所として用いられ、1938年に初代大統領ケマル・アタテュルクはこの宮殿で亡くなった。

トラム体験乗車
トラムは旧市街を通り抜け、ガラタ橋を渡り新市街のカタバシまで続く。クラシックな電車の窓からの観光はなかなか趣があって楽しいものだ。

スィルケジ駅
東ローマ帝国からオスマントルコ、近代トルコと変遷する中を見つめてきたボスポラス海峡のヨーロッパ側の拠点・スィルケジにはアガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」舞台となったスィルケジ駅がある。
この駅に入る列車は全て行き止まり、つまりここは終着駅なのだ。
駅構内にはレストランがあり、窓から出入りする列車を眺めながらの食事は旅情たっぷりだ。
