2008年3月 7日

南半球一周の船旅14 リオ・デ・ジャネイロ

なかちゃんの「南半球一周の船旅」
うろつ記・まごつ記・思いつ記

第14報 リオ・デ・ジャネイロ(ブラジル)

日本のおよそ23倍という広大な国土面積をもつブラジル。気候ひとつとっても、南部と北部ではまったく違う。中南部は平地が多く、パンタナールの湿原や大草原があり、南東部には山岳地帯がある。いっぽう北部は、アマゾン河流域とブラジル高原からなり、熱帯樹林に覆われた人跡未踏のエリアも多い。
ポルトガル人、イタリア人、ドイツ人、日本人、アラブ人など数多くの移民を受け入れてきたため、今では人種が入り乱れているという。それが "楽天主義とダイナミズム"、"感情的で無頓着"などの新しい特徴をもった人種を生み出した。そしてこの多様性こそが、ブラジルの顔となっている。
1908年、初めて日本人を乗せてブラジルを目指した移民船・笠戸丸。
100年後の2008年2月24日、その同じ航路を経てトパーズ号は、リオ・デ・ジャネイロに入港した。その日、船内では日系移民100周年記念イベントが開催された。
リオ・デ・ジャネイロ。人口600万人、サンパウロに次ぐブラジル第2の都市だ
16世紀中頃、染料の原木であるパウ・ブラジルを求めて侵入してきたフランス人を、1567年1月20日にポルトガル人が撃退した。その日は奇しくも、カトリックにおけるセバスチアンの祭日であり、かつまた、ポルトガル王ドン・セバスチアンの誕生日でもあったことから、正式名称をサン・セバスチアン・ド・リオ・デ・ジャネイロと名づけたという。
ポルトガル語では川をリオ(Rio)、1月をジャネイロ(Janeiro)という。つまりリオ・デ・ジャネイロとは「1月の川」という意味だが、1502年1月、グアナバラ湾を発見したポルトガルの探検隊がこの湾を川と勘違いしたことに始まる。
その港は、シドニー、サンフランシスコとともに「世界三大美港」として知られている。
入港時にはコルコバードの丘の巨大なキリスト像が船を迎えてくれる筈だった。しかし、港にさしかかったときはまだ夜明け前、そして太陽が昇りはじめた頃には、船はすでに岸壁にへばりついていて、残念ながら美しい港の風景も、巨大なキリスト像もカメラに収めることはできなかった。

コルコバードの丘(Corcovado)
リオデジャネイロにある標高710メートルの丘である。
丘の頂に立つキリスト像は、リオ観光のシンボルだ。台座が8メートル、像の大きさだけで30メートル、全身はミナス・ジェライス産のろう石貼りで、重さ1145トンという巨体が、リオの街を見守るように見下ろしている。
晴れた日には丘の頂上から、リオ全体を箱庭のように見渡すことが出来るというが、この日は生憎の濃い霧のため、街はおろか間近のキリスト像さえも、霧のわずかな晴れ間にちょこっと顔を見せただけだった。

コパカバーナ海岸
弧を描くように美しい海岸線が、4.3Kmにわたって伸びている。
ビーチは日光浴や海水浴、ビーチバレーを楽しむ人たちで賑わっていた。タンガと呼ばれるビキニを身につけた美女が闊歩し、どこからともなくサンバが流れてくる。
宿泊したリオ・オットン・パレスの18階の部屋からは、街並みと海岸線が半々に見ることが出来、夜景と朝景ともまたとない光景をみせてくれた。

シュハスコを食べる
ブラジルを代表する料理・シュハスコを食べた。
肉の塊に岩塩をすり込んでジックリと焼き上げたもので、20種類もの肉を大きな塊のまま串刺してテーブルまで持ってくる。好きなものを好きなだけ皿にスライスしてくれる。噛むと肉汁が口の中にあふれ出てきた。
最初にもらった肉を食べきらないうちに、次の肉をもってくる。瞬く間に3~4種類の肉が皿にたまる。
肉のほかに、サラダ、パスタ、サーモンの刺身、握りすし、巻きすしなどがバイキング方式で食べ放題。贅沢な昼食だった。

(3/1 中川嘉夫記)

【参考】
国際交流NGO・ピースボート 公式HP
http://www.peaceboat.org/index_j.html
第60回地球一周の船旅レポート
http://www.peaceboat.org/cruise/60th/index.html

投稿者 mtcambrs : 2008年3月 7日 14:34
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