2005年9月30日

読後感 「信長の棺」

 私の読書ジャンルの1つは時代小説、それも戦国時代物である。子供の頃は、農家の小倅が、腕力や武力ではなく、才覚と機知で天下取りを果たす太閤記が愛読書であった。長じて、未来論に傾倒したこともあり、改革者としての織田信長に興味を持つようになった。それで、信長に関係する小説のおもな物−童門冬二、堺屋太一、池宮彰一郎・・・から安土城に関する物など読みあさったものである。

 それらの下敷きがあればこそかも知れないが、この「信長の棺」は秀逸であり、大変面白かった。作家の立場に立てば、一般の小説に比し、時代小説は難しいと思う。なぜなら、変えることができない歴史的事実と事実の狭間に、構想力、想像力を働かせ、フィクションを織り込む必要があるからだ。それもエピソードのようなものでなく、流布されているストーリーを変えるようなものならベストであろう。「信長の棺」はそれを実現した希有な時代小説である。

 この時代の文献として「信長公記(しんちょうこうき)」が有名であるが、この作者太田牛一の視点で信長を描いていることが、面白さの第一である。
 第二に、秀吉の出自は弥右衛門の子といわれているが、それ以上は明らかでない。「信長の棺」では権力争いに敗れた貴族が、丹波に逃れ、その一族の末裔の一人であるとの設定である。
 第三は秀吉は本能寺の変を明智光秀が毛利方に放った間者を捕らえ知ったというのが通説である。しかし「信長の棺」では、秀吉は光秀の動きを察知し、しかも信長のとどめをさす工作をしていた、とある。信長の死を知り、悲しみにくれる秀吉を黒田官兵衛が「天下取りのチャンス」と励まし、中国大返しをし、主君の仇を討った、というのが通説である。しかし逆に、秀吉は主君殺しに深く関与しながら、忠臣面をし、甘い汁を吸った悪逆の徒ということになる。信長はなぜ近習だけのほぼ丸腰で本能寺に宿泊したのか、信長の遺骸が発見されなかったのは何故か、予想外の緊急事態において短時日での毛利との和睦・中国大返しがどうして可能だったかなどの通説に対する疑問点を含め、見事な解決ストーリーである。このからくりの解明は「信長の棺」をお読み頂きたい。

2005.9.30
飯田征一郎

投稿者 mtcambrs : 2005年9月30日 09:03
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